Lesson 7
現代の人々
ある人々は現代人は神を失ったと言って嘆き、ある人々は現代人は 神の束縛から解放されたと言って祝杯をあげる。宗教が完全に姿を 消してしまうというところまでは行っていないにしても、現代人の 生活から宗教的な感覚が薄らぎ始めている事は事実である。東京の 若い人々の家庭から神棚や仏壇が姿を消し始めているという事が、 端的にこの事を裏書きしている。このような傾向は日本のみには とどまらず欧米の各国にもあるようだ。あるアメリカ人の学生の言 によると毎週教会へ行くクリスチャンは一割とはあるまい (1) という ことだ。
先日、新宿のあるデパートに出かけてみた。買物のついでに、店内 をブラブラしていると、ある売り場に特に人だかりがしている。 なんだろうと思って近付いてみると、化粧品会社のセールスマンが 電子計算機を使ってお化粧の仕方の指導をしていた。どうも (2) 、 つまらぬ事にまで計算機が顔をきかせているものだと思ったが、 その夜、夕刊を広げてみると、計算機で客寄せをしているのは この店に限らぬ (3) らしく、ほかのデパートでも計算機が人間の質問に 答えているという記事が出ていた。計算機に対する現代人の信頼感 は絶大なものであるようだ。たかが化粧品の宣伝のためだけならば、 なにもわざわざ計算機を持ち出す必要はあるまい。むしろ、こんな 高価な機械を持ち出したのでは、宣伝費が高くついて困るぐらいが 関の山である。それにもかかわらず、わざわざこんな厳めしい機械 を化粧品の宣伝に使っているところを見ると (4) 、この機械には現代人 の精神的傾向に訴える、ある特別の魅力があるのだろう。
われわれ誇り高き (5) 科学的代の人間は、神様の判断であるおみくじなど は信頼に価しないものと考える。それが、計算機の御託宣となると 有難く耳を傾けるのはどういうわけだろう。現代人というのは一方で は古い神々を否定しながら、同時に他方では新しい現代の神々創造 しているのではあるまいか。
会話文
A: 鈴木君は宗教についてどう思う。
B: どう思うって。
A: 必要かどうかってことだよ。
B: そうか。そんなもの必要なもんか。二十世紀は科学の時代だからね。 今どき、神棚だの仏壇だの持ち出す必要もないだろう。佐藤君はどうなんだい。
A: そう簡単には片付けられないんじゃないかな。もう少しよく考えて みなくちゃ (6) 。ぼくはどっちとも言えないでるところなんだよ。
B: ほう。そりゃどうして。
A: このあいだの日曜日に、デパートへ行ったんだよ。そしたら電子計算機で 化粧品の使い方を教えてるんだ。化粧品の宣伝に計算機を持ち出しても採算が 合わないこと、はっきりしてるだろう。
B: そりゃそうだね。それで......。
A: それで考えたんだけどさ、そんな採算の合わない事をしてまで計算機を 持ち出すというのには、それだけの理由があるわけだ。
B: うん。
A: さっき君が言ったようにね、現代が科学の時代だという事は確かな事だ。 しかし、本当の科学者、玄人は別として、素人は科学を一種の宗教にしち まってる (7) んじゃないか、という気がしてしょうがないんだ。
A: 別に君のことを言ってるわけじゃないけどね。ともかく、なんていうか、 一種の宗教、まあ計算機教とでもいうような宗教が出来てきてるんじゃないか と思ってね。
B: うん、本当だ。「あれも迷信だ、これも迷信だ」という人でも、「これは 計算機の出した答だ」なんて言われると、いっぺんに信じないではいられなく なるらしいからね。
A: うん、そうなんだよ。人間にはどんな形のものでもいいから、何かを 信じたいという欲望というか、本能というかそんなものがあるんじゃないかね。
= 留 意 語 句 =
...の束縛から解放される
姿を消す
顔をきかせる
新聞を広げる
記事が出ている
関の山
信頼に価する
耳を傾ける
採算が合う